ニュージーランドに来てから、生活の中で「当たり前」が変わったなと感じることがいくつかある。その中でも毎日のように感じているのが、「シャワー文化」だ。もちろん日本でもシャワーだけで済ませることはあるけれど、やっぱり私にとっては「お風呂に入る」という行為が、リセットだったり、癒しだったり、1日の終わりのご褒美だったりしていた。
でもこっちでは、バスタブがない家も珍しくないし、あっても使う文化があまりない。特に私の今の住まいも、完全にシャワーだけ。来てからずっと、毎日シャワーを浴びるのが習慣になっていて、それはそれで慣れてきた。むしろ最初の頃は、シャワーだけでも十分だったし、「海外っぽい生活だな〜」なんて少しウキウキしていたくらいだ。
だけど最近、ふとした瞬間に「ああ、お風呂に浸かりたいなあ」と思うことが増えてきた。特に少し肌寒い日だったり、疲れがどっと出た日なんかは、シャワーの水の音を聞きながら「これじゃあ癒されないな」なんて思ってしまう。
湯船にお湯を張って、ぽかぽかのお湯の中に体を沈めて、何も考えずにぼーっとする時間。あれって、すごく贅沢で、しかも心の健康にも大事な時間だったんだと気づいた。
日本にいた頃は、季節を問わずお風呂に入るのが当たり前だった。夏でもさっとお湯に浸かって汗を流すと気持ちよかったし、冬はお風呂が一日のハイライト。好きな入浴剤を入れて、時には音楽を流したり、スマホをジップロックに入れて動画を見たりして、完全にリラックスタイムにしていた。
でもニュージーランドでは、そんな時間がごっそりなくなった。節水の意識も高いし、シャワーの水圧も場所によってまちまち。私の今の家は運よく水圧は悪くないけれど、やっぱり「浴槽に浸かる」という体験は全然違う。日本の生活って、水に関してものすごく贅沢だったんだなと改めて思う。
最近は、近くの温泉施設を探してみたり、「お風呂」って検索したりしている自分がいる。実際、ニュージーランドにも温泉はあるらしい。ロトルアとか、観光地に行けば日帰り温泉があると何かでみた。でも「毎日気軽にお風呂に浸かる」っていうのは、やっぱり日本じゃないと難しいのかもしれない。
ちょっと前に、日本の友達が送ってくれた写真があって、それがまさに実家のお風呂。何気ない写真だったのに、思わず「うわ〜懐かしい!」って声が出た。洗面器とかシャンプーのボトルとか、細かいものひとつひとつが懐かしくて、ちょっと泣きそうになった。
もちろん、ニュージーランドでの生活も気に入っている。自然も豊かで、空気もおいしいし、時間の流れも穏やか。ただ、やっぱり「当たり前」だったものが手に入らなくなったときに、それがどれだけ自分にとって大切だったかに気づく。
きっとそのうち、旅行で温泉に行ったり、バスタブ付きの宿に泊まったりできる日が来ると信じてるけど、それまではこの「お風呂に入りたい気持ち」をちょっと大事にしながら、シャワー生活を楽しむしかないのかも。
こっちにいるからこそ、恋しくなるものがある。それが、私にとっては今、お風呂なんだと思う。
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