「華金」と聞くと、どこかキラキラした響きがある。
仕事帰りに誰かと飲みに行ったり、賑やかな場所で過ごしたり、ちょっと背伸びしたような夜。それが“大人”の金曜日だと思っていた。
だけど今日、私は仕事が終わってまっすぐ家に帰り、特に何をしたわけでもなく、ただごはんを食べて、シャワーを浴びて、ひと息ついた。
その瞬間、心の底から「幸せだな」と思った。
それはまさに、“華金”だった。
疲れていたわけじゃない。でも「帰れる場所がある」って安心する
ニュージーランドでのワーキングホリデー生活も、もうすぐ2ヶ月。
ようやく職場にも慣れてきたけれど、やっぱり毎日はちょっとした緊張の連続だ。英語も完璧じゃないし、ちょっとした表情や言い回しで悩むこともある。
今日の仕事も、特別大変だったわけじゃないけれど、終わった瞬間、心の中にふっと風が吹いた。
「帰ろう」って思った。その言葉が、今日はいつもより優しく感じた。
ただ部屋に戻って、ただ“ほっとする”
玄関のドアを開けた瞬間、ちょっと肌寒い外気と、室内の静けさのコントラストに安心した。
ここは完全に自分だけの空間。誰かの目も、英語も、仕事のルールもない。
何かを頑張らなくてもいい場所に戻ってきた、という感覚。
貰った賄いの寿司をYouTubeを見ながら、ゆっくり食べる。何も考えない。
それだけで、じんわりと幸せが広がっていく。
シャワーを浴びて、パジャマに着替えて
そのあとはいつも通りシャワー。温かいお湯を浴びるたびに、今日の疲れが溶けていく気がした。
この一連のルーティンがあるだけで、すごく落ち着く。
パジャマに着替えて、ベッドの上にごろん。
YouTubeでも流そうかなと思ったけれど、今日はなんとなく音のない時間が心地よくて、何もしないまま布団にくるまっていた。
外は金曜の夜。きっと街では楽しそうな人たちがたくさんいるんだろうけど、私はこの静けさの中にいることに、妙な幸福感を感じていた。
「自分と過ごす」華金
日本で想像していた“華金”は、賑やかで、ちょっと大人びたもので。
ワーキングホリデーに来てからも、どこかでそれに似た夜を期待していた自分がいた。でも、英語がうまく話せるわけでもないし、気軽に誘える友達がいるわけでもない。
でも、だからこそ気づけたことがある。
自分のペースで過ごせる夜、自分だけの安心できる空間。
それがどれだけ貴重で、ありがたいものか。
今の私にとっての“華金”は、決して派手ではない。
だけど、こんなふうに「今日も一日がんばった」と思えて、「帰ってきてよかった」と思える夜。それがあるだけで、十分すぎるくらい満たされる。
きっと来週もまた、華金を待つんだろうな
明日も休み。朝はゆっくり寝てもいい。
そんな小さな喜びが、今日の夜をさらに特別なものにしてくれる。
これからきっと、もっといろんな金曜日を過ごすと思う。友達と出かける日も、ひとりで冒険に出かける日もあるだろう。でもきっと、何もしない金曜日の夜がいちばん“自分に帰れる”気がしている。
華金って、こういうことでいいんだな。
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