ニュージーランドに来て、もうすぐ2ヶ月が経つ。
最近ふと、「日本を離れて本当に良かったのかな?」と考えることがある。
最初の頃は、とにかく「来れたこと」に満足していた。見たことのない景色、新しい生活、英語に囲まれた日々――すべてが新鮮で、「これが海外生活か!」とワクワクしていた。
でも、日常が落ち着いてくると、少しずつその熱も冷めてきて、自分の中に静かに問いが生まれてくる。
「本当に、良かったの?」
思わない瞬間
正直に言えば、「日本にいた方が楽だったな」と思う瞬間もたくさんある。
一番は言葉の壁。
英語の聞き取りはまだまだ難しいし、言いたいこともすぐには出てこない。
仕事中に何かを聞き返されたとき、うまく言い返せなかった自分に落ち込むこともある。
そのたびに、「やっぱり英語ができないと何も始まらないな」と無力感に包まれる。
また、ちょっとした日常の中でも、日本ならスムーズだったことが、こっちでは一つひとつ慎重になる。
たとえば、スーパーでの買い物やレジでのやりとり。聞き取れなかったらどうしよう?返事を間違えたらどうしよう?
そんな小さな緊張が積み重なって、思っている以上に疲れている自分がいる。
それに加えて、やっぱり日本の“安心感”や“気遣い”の文化が恋しくなることもある。
何も言わずとも察してくれる人たち、丁寧な接客、いつも清潔で整っている空間。
そういうものに囲まれていた日常って、実はすごくありがたいことだったんだなと、今さら思い知る。
良かったと思う瞬間
だけど、そんな日々の中でも、「あ、日本を出てよかった」と感じる瞬間がある。
それは、たとえば誰かが笑いかけてくれたとき。
道を歩いていると知らない人が話しかけてくれたり、カフェやスーパーの店員が笑顔で「have a good day」と言ってくれたり。
そんな小さなやさしさに出会うと、「ちゃんと、世界ってつながれるんだ」と思える。
あと、空気。
ウェリントンの風は強いけれど、透き通っていて、どこか自分の中のよどみを吹き飛ばしてくれるような気がする。
日本では、便利で快適だったけど、息が詰まりそうなときもあった。
気づかないうちに、いつも誰かと比べていたし、どこか“ちゃんとしなきゃ”って自分を縛っていた。
でもこっちでは、誰がどんな格好してようが、何してようが気にされない。
だから、自分自身も少しずつ「こうでなきゃ」って枠を手放せている気がする。
それはもしかしたら、日本では得られなかった“自由”なのかもしれない。
どちらも本当だから、意味がある
日本を離れて良かったと思う日も、思わない日も、両方ある。
どっちかが正解で、どっちかが間違いってことじゃなくて、どっちも本当。
だからこそ、意味があると思う。
「海外に行けば人生変わる」なんて簡単な話ではない。
実際、変わるのは環境であって、自分の本質は急には変わらない。
でも、新しい環境に身を置くことで、見えるものが増えるのは確かだ。
そしてそれは、ただの“海外経験”じゃなくて、
自分と向き合うための、ちょっと遠回りな時間なのかもしれない。
最後に
これから先、もっと「来てよかった」と思える日もあれば、「やっぱり日本の方が良かったな」と思う日もあると思う。
でも、そのすべてが、ちゃんと意味のある経験になっていくと信じている。
ニュージーランドの風の中で、そんなことをふと思った月曜日。
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