“何もしない日”を楽しめるようになったのは、ニュージーランドに来てからだった

挑戦

昨日も似たようなことを書いた気がするけど、今日もまた「何もしない日」を過ごしてしまった。でも、それが思った以上に心に響いたから、もう一度書いてみる。

今日は特に予定もなく、目覚ましもかけずに自然に起きた。

ゆっくりトーストを焼いて、コーヒーを飲みながら外の風を感じた。

それだけで、なぜかちょっと満たされていた。

スマホを開けば、日本ではみんな何かをしていて、どこかに出かけたり、勉強したり、仕事を頑張ったりしている。

それを見ていた昔の私は、「自分も何かしなきゃ」と、空っぽの休日に焦っていた。

だから無理やり出かけて、写真を撮って、ストーリーに載せて、「充実してる風」の自分を演出していた。

でも、ニュージーランドに来てからは違う。

「今日は何もしてないよ」と言っても、「いいね、それが一番」って返ってくるこのゆるさが、なんだか心地いい。

何もしないことを、ちゃんと許してくれる環境。

それが、じわじわと私の考え方を変えてくれた。

午後になって、散歩に出かけた。

風が強くて髪はぐちゃぐちゃになったけど、そんなこと誰も気にしていない。

道を渡るカモを見て微笑んで、カフェでラテを飲んで、ただそれだけ。

でも、ずっと深呼吸してるような感覚で、心がふっと軽くなっていくのを感じた。

SNSを開けば、「今日はproductive(生産的)な一日でした!」という投稿が並んでいる。

それを見るたびに、少しだけ焦る気持ちは今もある。

でも最近は、そう思う自分をそっとなだめることができるようになった。

「今日は何もしてない。でも、ちゃんと生きてた」って。

ニュージーランドで得た一番大きな変化は、多分ここにある。

何かをしていない時間も、自分にとって大切な時間だと思えるようになったこと。

“doing nothing” は、サボりじゃなくて、ちゃんと自分を充電する行為なんだと気づけたこと。

たとえ昨日と同じような一日だったとしても、それを肯定できた自分に、今日はちょっとだけ拍手を送りたい。

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