ゴミ箱を見て気づいた、ニュージーランドの“ゆるさ” 〜分別ゼロの生活から学んだ文化の違い〜

日常

ニュージーランドで生活するようになって、ふとしたときに「ん?」と思うことがある。

最近その中でも特に印象に残ったのが、ゴミの分別文化の違い。

日本にいた頃は、当たり前のように「燃えるごみ・プラスチック・缶・瓶・ペットボトル」…

と細かく分けていたのに、こっちに来てからはゴミを分けたことが一度もない。

最初は「え?これ大丈夫なの?」って戸惑ったけど、今はもう慣れてしまった。

そして気づいた。

ゴミの出し方ひとつに、国民性や文化が出てるんだなって。

ゴミ箱はひとつ。分けるという発想がない?

こっちに来てまず驚いたのが、家にゴミ箱がひとつだけしかないことだった。

そこに、食べ終わったお弁当の容器も、ペットボトルも、お菓子の袋も全部ドサッと入れる。

ビニール袋もまとめてポイ。

ラベルなんてはがさないし、容器も洗わない。

最初はものすごく違和感があった。

日本の感覚だと「こんな適当でいいの?」って思ってしまうけど、

こっちではむしろそれが普通っぽい。

日本の“分別ストレス”に気づいた

日本にいるときは当たり前すぎて気づかなかったけど、

思い返せばゴミ出しって結構ストレスだった。

たとえば:

  • ペットボトルはラベルをはがして洗って乾かす
  • お弁当の容器はソースまで洗ってからプラごみに
  • 指定の袋が高いし、出し忘れると次の週まで持ち越し

正直、そこまで徹底しないといけない理由がわからないまま、「ちゃんとしなきゃ」って思い込んでた。

でもニュージーランドでその“縛り”がなくなってみたら、

「意外とゆるくても、回ってるじゃん」と思えた。

ゴミ文化から見える、“心の余裕”

この生活をして感じたのは、

ニュージーランドの人たちは、“ちょっとくらい適当でもOK”という余裕があるということ。

ゴミを多少分けなくても、怒られることもないし、

誰かに監視されているようなプレッシャーもない。

日本で生活していた頃の自分は、

「分別ちゃんとしなきゃ怒られるかも」「隣近所の目が…」と、

どこかで人の目やルールに縛られていた気がする。

でも今は、

「完璧じゃなくてもいい」「気を張りすぎなくてもいい」

そんな気持ちで暮らせるようになった。

おわりに:ゴミを通して見えた、ニュージーランドらしさ

たかがゴミ、されどゴミ。

毎日無意識に触れているものだからこそ、そこにその国の“らしさ”が出る。

ニュージーランドのゴミ文化は、

ゆるいけど、責任感がないわけじゃない。

ラクだけど、ちゃんと“気づかい”はある。

分別をしていない自分に驚きながらも、

それでも罪悪感がない今の生活に、ちょっとした安心を感じている。

「もっと頑張らなきゃ」じゃなくて、

「ほどよく気をつける」くらいでいい。

ニュージーランドはそんなバランスを教えてくれる国かもしれない。

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